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【お洒落をすること】 

今日は

私の中の、個人的な『お洒落』という定義について書いてみます

【お洒落をすること】 

それは私にとって楽しむことや自己表現以外に、
ある意味『自分を隠す』ためのものだった。

それはずっと
私が自分の外見にコンプレックスを持っていたから。

誰かの些細な一言を反芻させて
私自身が自分にかけてきた、呪いの暗示。

幼少期、父から『お前は不幸そうな顔をしている』と言われた一言。
初めて付き合った彼から『なんで付き合ったんだろう…美人じゃないのに』って言われた一言。

友人に『あんたの顔ってヒラメみたい』って言われた一言(→鼻が低くて、平面的で、目が離れてる…って意味だと捉えたあせる)

そして、太い足に、大きなお尻。
人から笑われるくらいの、短い指に分厚い手のひら(→ドラえもんの手と、よく言われていた)

父が、男の子が欲しかったのに
生まれたのが女の子でガッカリだったって話を小耳に挟んでしまったことから

自分が女性であることへの嫌悪があり、ずっと『男に生まれたかった』と思っていた。

そして、女という性を、身体を
とても粗末に扱ってきた。

お化粧は、可愛くない顔を隠すためのもの。
洋服は、嫌いな体型を隠すためのもの。

『可愛い』『女の子っぽい』ことが嫌で、
態度も口調も選ぶものも、男っぽいモノやコトを好んだ。

人形遊びは嫌いだったし
アイドルに熱を上げることもなく…

クールな子供だったのかもしれない。
そして、自分に全く自信がなくて
めちゃくちゃ引っ込み思案なコだったと思う。

その割にはバンド活動をしたり
いらんことも…色々した( ̄▽ ̄;)💦

悪びれたかった。
良い子なんて言われたくなかった。

本当はもっと自分の個性を表現したかったんだよね(笑)

『お洒落』は私を隠すもの。

嫌いな自分を隠すもの。

だけど、心の仕組みを学び
私が私を大切にすること
自分が自分を愛することの意味が、だんだんわかるようになって

自分が自分にダメ出しをしている部分こそが
ありのままの私であり
愛すべき部分であると理解できるようになってきた。

パズルのピースは
欠けがあるからこそ
その欠けに
カチリとハマるピースが
ちゃんと用意されていて

自分もまた
誰かの欠けにハマることで
宇宙は美しい、完璧な絵画を見せてくれるんだと気づいたとき

この《私》という、ありのままのカタチを、愛おしく思えるようになったし

自分の欠け(苦手なこと、弱み)をさらけ出すことで、
その凹を埋めてくれる誰かに出会うようになっているのだと知った。

心と体と精神が元気じゃないとき、満たされていないとき
人はお洒落が出来ない。

お洒落とは
自分に手と目を掛けること。

お洒落とは
自分自身に敬意を払うこと。

自分に敬意を払うとは
ありのままの自分を愛し
過去も未来も与えられた環境も
全てを受け入れた上で
自分が自分を幸せにすると誓うこと。

自分に愛していると伝えること。

それが私の中のお洒落の定義。

今、やっとそう言えるようになって
凹を隠そうとして覆っていたものを取り払い
自分を本来のピースのカタチに戻して
そのカタチを慈しむことが出来たとき
私が私であることに《歓喜》するという
私の人生のテーマに、真っ直ぐに繋がっていくのだとわかったのです。

だから
私は私のために
もっと美しくなりたい。

シミがあっても
シワがあっても
白髪が増えても…

もっと自分に
キレイだよ
素敵だよと
伝えてあげたい。

私の肌や髪を艶やかに保ってあげたい。
私の身体を、もっと健康で若々しく保ってあげたい。
私に似合う素敵な服を着せ
私に似合うお化粧をして

私をもっと、ご機嫌にしてあげたい。

それが、これからの私に
私自身が与えてあげたいギフト。

そのために
自分が自分の望む未来地図を持ち
心というコンパスを片手にススムのです✨

ってことで
今日もお付き合い頂きありがとうございました😊